幸橋門は虎ノ門の東のほうにありました。門前には濠があって、それは虎ノ門からずっと続いていました。古い写真を見ると、橋の先に高麗門があって、枡形内に入って直角に左へ曲がると渡櫓門があることが見てとれます。
今のJR新橋駅の近くにあったようですが、濠は埋め立てられ、門の遺構などはなにも残っていないようです。門跡よりも北側の地名が「内幸町」となっているのは、幸橋門の内側の町という意味なのでしょうか。
その内幸町の隣には日比谷公園があります。いくつかある公園の門の中に中幸門というのがあって、ほかの門と同じく石柱が二本立っています。これをよく見ると文字が彫られていて、「幸橋門の旧礎を以て建造 明治35年6月」と読めます。どうやらこれらの石柱は幸橋門の石垣の石を再利用して作られたもののようです。
白っぽいきれいな石です。古い写真の左端、渡櫓門の前あたりにある石垣は、大きめの石を使っているように見えます。このような石が門の石柱に転用されたのでしょうか。
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日比谷公園の中幸門 -
日比谷公園中幸門の石柱1 -
日比谷公園中幸門の石柱2 -
幸橋門の旧礎を以て建造 明治35年6月