旧竹橋門は現在の鉄筋コンクリート製の竹橋を渡った先、東京国立近代美術館の手前あたりの歩道と車道になっている場所にあったと思われます。その遺構らしきものは、高麗門跡に向かって左のほうに石垣が少し残っていますが、それ以外は歩道と広い車道ができていますので、見当たらないです。
竹橋門はどんな門だったのか。古い写真で正面から見た姿を見ることができます。手前には清水濠があって、水面に門や石垣の姿が写っていてきれいです。左側の中央のあたりにある橋台から木橋が伸びて、その先には高麗門があります。印象的なのは、この高麗門に向かって右側の塀がないことです。なので、高麗門をとおるとすぐ右手に渡櫓門があるという構造だったようです。この門は帯曲輪の端とつながっていますが、そこに出入りする門が平川門のようにあったのかどうかは、この一枚の古写真だけではよくわかりません。
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竹橋門跡に残る石垣 -
竹橋の上から見た竹橋門跡に残る石垣 -
現在の竹橋の上から見た竹橋門跡 -
現在の竹橋の上から見た石垣と、そのうしろには東京国立近代美術館。石垣の上には多門があったと思われる -
竹橋門があったと思われる場所は、現在は道路になっている -
清水濠のほとりから見た現在の竹橋と石垣
高麗門に向かって左側には塀が付いている構造でしたが、このあたりの石垣が少し残っています。濠に落ちないように設けられた柵は竹を模しているようです。私が見に行ったときには、石垣は若干崩れている、全体的に荒廃した印象がありました。この場所が車道にも歩道にもならなかったから、たまたまそこに石垣が残って放置されているような印象です。もちろん、説明板が設置されているくらいですから、文化財としてきちんと管理されているはずですが。
それで、この残っている石垣ですが、高麗門の塀と接していたと思われる部分をよく見ると、塀に合わせたような窪みがあり、さらに穴が二つ確認できます。これは塀が付いていた痕跡と見て、ほぼ間違いないでしょう。穴のひとつは一番上にギリギリ確認できる状態なので、この石垣はもう少し高く積まれていたのかもしれません。
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高麗門があった付近の、建物(塀)があった痕跡らしきもの -
高麗門があった付近の、建物(塀)があった痕跡らしきものを別の角度から
地下鉄の竹橋駅から地上に出て、現在のコンクリート製竹橋を渡ろうとする手前に、下へ降りる階段があります。降りると小さな公園、いやちょっとした休憩場所でしょうか、ベンチが二つほど置いてある、小さな場所があります。ここでどうしろというのでしょうか?濠や石垣を眺める場所なんでしょうか?たしかに帯曲輪の石垣がよく見えて良い場所です。なんのために作ったのかわかりにくい場所ですが、実はここが木製の旧竹橋の橋台だったようなのです。古写真にも写っていますが、この橋台から高麗門まで旧竹橋はかかっていたのです。
濠に落ちないように気をつけながらこの場所の縁を見ると、石垣でかためられているように見えます。この場所は橋台を残して再利用した場所だったのです。そして現在の竹橋は、旧竹橋のすぐ横(北側)にかけられたことがわかります。
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現在の竹橋の横にポツンとある小さな場所
現在の竹橋は幅の広い道路ですので、これをつくるためには、渡櫓門の石垣はもちろん、その先の多門が乗っていた石垣の一部も撤去したものと推測できます。現在歩道から見える石垣は、断面に別の場所から持ってきた石垣を積み上げたものなのでしょう。近くで見ると少し不自然で、一部の隙間にはコンクリートが詰められていて、それで崩れないようにしているのがわかります。だから、これは石の積み方としては下手なのかもしれないし、工事をした人たちは、石垣造りのプロではなかったのかもしれないです。
刻印らしきものも確認できますが、これももちろん他から持ってきたものでしょうから、これはどこの家のものなのか、なぜこの場所にこの刻印があるのかなど、意味を考えてみても仕方がないのでしょう。