江戸城の北ノ丸には徳川家御三卿の田安家と清水家の屋敷がありました。そこは第二次世界大戦後に森林公園として整備され、1969(昭和44)年4月から北の丸公園として一般に公開されました。日本武道館や千鳥ヶ淵の桜などでも知られています。
公園内を歩いてみても、江戸時代の建物や遺構のようなものはほとんど見当たりません。ですが、この公園を囲っている濠は江戸城のものであり、石垣も残っています。田安門と清水門も残っているので、門とそれらの近くに、江戸時代の雰囲気を感じることができます。
田安門内には田安家の屋敷がありました。御三卿の一つである田安家は、八代将軍吉宗(1684~1751)の次男宗武(1715~1771)が1731(享保16)年に、この田安門内に屋敷を与えられて居住したことが始まりだと伝わっています。御三卿には将軍家に継嗣(あとつぎ。よつぎ。)のない場合に養子を送る資格があって、家格は御三家(尾張・紀伊・水戸)につぐものでした。
関東大震災では被害を受けて渡櫓門が損壊したようですが、そのときは再建されず、高麗門のみが残っていたようです。その後、第二次世界大戦でも被害を受けて、戦後は枡形の石垣が下から2~3段くらいしか残っていなかったようです。そのため枡形の内側に確認できる、刻印の刻まれた石のいくつかは、修築の際にどこかから持ってきたものの可能性があります。現在渡櫓門は復元されています。
田安門は現在北の丸公園内にあります。日本武道館に行こうとするとき、地下鉄の九段下駅で下車して、この田安門を通って行くと便利です。門はただの公園の入り口という認識でしかないかもしれません。春になると門前や千鳥ヶ淵で桜の花が咲くことは知られているかもしれませんが、夏にも牛ヶ淵の蓮が咲き、秋になると門の近くや北の丸公園内でも彼岸花(曼殊沙華)がポツポツと咲きます。
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土橋の上から見た牛ヶ渕 -
土橋の上から見た千鳥ヶ淵 -
土橋の上から見た田安門 -
枡形内から見た高麗門 -
田安門の枡形内 -
枡形内の石垣の刻印1 -
枡形内の石垣の刻印2 -
枡形内の石垣の刻印3 -
現在の北の丸公園内から見た渡櫓門 -
渡櫓門と日本武道館
清水門内には清水家の屋敷がありました。御三卿の一つである清水家は、八代将軍吉宗(1684~1751)の孫で、九代将軍家重(1711~1761)の次男でもあり、また十代将軍家治(1737~1786)の弟でもある重好(1745~1795)が、1758(宝暦8)年にこの清水門内に屋敷を与えられて居住したことが始まりだと伝わっています。
昭和初期の時点では渡櫓はなかったようです。おそらく関東大震災で被害を受けて損壊し、再建されなかったのでしょう。現在渡櫓門は復元されています。
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清水門と土橋 -
清水門 -
枡形内と渡櫓門 -
枡形内から見た高麗門 -
枡形内1 -
枡形内2 -
草が生い茂る秋1 -
草が生い茂る秋2