上野にあった大仏殿
東京都台東区にある上野公園は、江戸時代は寛永寺というお寺でしたが、そこには大仏もありました。寛永8(1631)年に粘土を漆喰で固めて造ったものが始まりだといいます。その後最初の大仏は地震で倒壊、今度は青銅製の大仏が新たに造られて、元禄11(1698)年になってやっと仏殿が建立されました。それも天保12(1841)年、火事によって焼失してしまいますが、天保14(1843)年には再建されています。安政2(1855)年の大地震では大仏の頭部が倒壊しましたが、これは間もなく修復されたといいます。
明治6~8(1873~1875)年頃の上野公園整備の際に仏殿は撤去されて、その後は露仏となってしまいました。明治時代に撮影されたと思われる野ざらしの上野大仏の写真は何枚も残っていて、インターネットでも当時の姿を見ることができます。
大正時代になると、12(1923)年の関東大震災で頭部が落下してしまいます。そして昭和時代になると、第二次世界大戦のときの金属供出令によって、お体は国へ供出してしまい、お顔だけが残りました。関東大震災後に大仏は修復されたのかどうかは不明です。頭部がなかったからお体の供出だけで済んだのでしょうか。頭部のない大仏が上野公園内に20年くらい鎮座していたのだとすると、なんとも痛ましいことです。
寛永8(1631)年の建立以来、地震、火事、戦争と、何度も災難にあってきて、今のお姿になった大仏様。お体がないので、また地震が来ても落ちるということはない、「これ以上落ちない」ということで、今は合格大仏となっています。
-
お顔の大仏様と薬師堂のある丘 -
上野大仏・パゴダ薬師堂の案内(2025年12月時点)
