東京都荒川区にある日暮里駅は1905(明治38)年に開業、1931(昭和6)年には京成線の駅も開業し、2008(平成20)年には都営線「日暮里・舎人ライナー」も開業してその始発駅となっています。近年は駅の東口、低地側の再開発も進んで高層ビルが立ち並ぶようにもなりました。そんな日暮里駅の周辺も、西口のある高台側は寺院や墓地が多いためか、開発が進んでおらず、古き良き日本の風景が色濃く残っていて、2019年からの新型コロナウィルス(COVID-19)流行以前であれば、外国人観光客の姿も多く見られました。
 JR日暮里駅の南改札口を出て左へ歩き、T字路で左側の紅葉坂と呼ばれる坂道をのぼり、谷中霊園に向かって歩いていくと左手側にお寺があって、これが天王寺です。現在は天台宗ですが、もともとは日蓮宗で感応寺と称していました。

  • 紅葉坂
  • 紅葉坂上の天王寺
  • 天王寺に咲く花1
  • 天王寺に咲く花2
  • 天王寺の伝統的な外観
  • 天王寺の近代的な外観

 五重塔跡を見に行こうと思っても、この広い霊園の中のどこにそれがあるのか、それが現存していないためわかりにくいです。春には桜が咲き乱れる中央通り(さくら通り)に交番があって、そのとなりは小さな公園になっています。ここがそうで、入口に「五重の塔跡」と書かれています。よく見ないと通り過ぎてしまうかもしれません。
 公園に入ると、正面に金網の囲いがあるのが見えます。ここが五重塔のあった場所です。塔跡には礎石が残されていて説明板も立てられています。この囲いのすぐ後ろには遊具が設置してあり、まわりはお墓ですが、子供たちが楽しそうに遊んでいることもあります。
 五重塔は最初1644(寛永21、天保元)年に建立されましたが、およそ130年後の1772(明和9、安永元)年、大火によって焼失しました。その後1791(寛政3)年に再建され、これが上野戦争(戊辰戦争)、関東大震災、太平洋戦争でも失われず、この場所に存在していました。 これは幸田露伴の小説『五重塔』のモデルとしても有名で、谷中のランドマークになっていましたが、1957(昭和32)年7月6日、放火によって焼失してしまいました。

  • 「小さな公園」の入口
  • 「小さな公園」の入口から見た塔跡
  • 五重塔跡に残っている礎石の全体像
  • 五重塔跡に残っている礎石の中央部分
  • 展示されている写真