高麗門や渡櫓門は残っていませんが、石垣の一部が残っています。各線の飯田橋駅から近いこともあって、人どおりは多い場所です。もちろん車もとおります。現在の鉄筋コンクリート製の牛込橋を渡った先が牛込門でしたが、そうだと説明されなければわからないかもしれません。外堀の門のひとつで、門跡から東側はかつての江戸城の郭内です。
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牛込橋と牛込門跡 -
牛込門跡に残る渡櫓門の石垣 -
牛込門があった場所の現状
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渡櫓門の石垣。線路側の側面。 -
渡櫓門の石垣の下のほう。見えにくい部分を牛込橋の上から覗き込む。 -
かつての枡形内から見た渡櫓門の石垣 -
渡櫓門の石垣の立派な隅石 -
かつての枡形の外から見た渡櫓門の石垣
牛込門跡には文字の刻まれた石がひっそりと置かれています。この石には「入阿波守内」と彫られています。牛込門は1636(寛永13)年に外郭諸門の修築が行われた際、阿波国徳島城主の蜂須賀阿波守忠英(1611~1652)によって築かれたと考えられていますので、それを意味しているのかもしれません。1902(明治35)年に撤去、解体中に偶然発見されたというので、江戸時代にはこれを目にすることはなかったようです。
この石は置かれているというよりも、展示しているつもりなのかもしれません。でもそんなの説明がなければわからないと思います。私がこの石の写真を撮っていたとき、ちょうど若い女の子が近くをとおり、その光景が異様に見えたらしく、「写真とってるぅ~!」と言われました。そこに何があるのかがわからないので、何をしているのかも、よくわからなかったのだと思います。
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「入阿波守内」と刻まれた築石