皇居の正門は旧江戸城西ノ丸の大手門
この門は旧江戸城西ノ丸の大手門でした。現在は皇居の正門として使われています。そのため警備は厳重です。普段、一般の人たちは手前にある石橋から先に入ることはできません。また、二重橋がある場所としても有名です。
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皇居正門前
石橋
皇居正門の手前にかかる橋は「正門石橋」です。アーチが二つあって、これが水面に写ると丸が二つあるように見えます。それで「メガネ橋」とも呼ばれます。
江戸時代は木造の橋がかけられていました。これは「西ノ丸大手門橋」または「西ノ丸大手橋」と呼ばれていました。明治時代になって石造りの橋にかけ替えられたのが、現在の正門石橋です。
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石橋(正門石橋)
どれが二重橋?
二重橋を見ようと思って電車で行く場合、地下鉄の「二重橋前」駅が最寄りの駅になります。「前」だと言いながら、橋までの距離は1.4キロ・メートルほどあるそうです。
それで、どれが二重橋なのでしょうか?皇居正門前に行くと橋は二つ見えます。手前が「正門石橋」でした。奥にあるのは「正門鉄橋」です。この正門鉄橋を二重橋と呼ぶのが正解のようです。皇居の公式サイトを確認すると「正門鉄橋(二重橋)」という表記が使われています。また、グーグルマップを見ても、この橋のところに二重橋と記載されています。
よく勘違いされることですが、手前の石橋にはアーチが二つあるから、これが二重橋だと思う人が少なくないようです。また、橋が二つあるから、それらを総称して二重橋と呼ぶ人もいるようです。
正門鉄橋の俗称が二重橋なんだとわかった上で、これを見た人はみんな疑問に思うかもしれない。何が二重なの?
江戸時代、正門鉄橋がある場所には「西ノ丸書院門橋」または「西ノ丸下乗橋」と呼ばれる木造の橋がありました。この橋は、濠が深いので橋脚が二重構造になっていました。そのため、橋の下にもうひとつ橋があるように見えたようです。それで二重橋と呼ばれるようになりました。明治時代になると、この橋は鉄橋にかけ替えられて「正門鉄橋」という名称に変わります。それでも現在にいたるまで、二重橋と呼ばれ続けているようです。
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二重橋(正門鉄橋) -
二重橋濠
現在も残る渡櫓門
西ノ丸の大手門は高麗門が手前にありました。それをくぐって直進すると、渡櫓門がある構造です。
江戸城の門の多くは、高麗門をくぐって、右か左へ直角に曲がると渡櫓門がある構造です。直角に曲げるのは、攻めてきた敵の軍隊が突進するのを防ぐ目的だったようです。
この門のように直進するタイプは珍しいです。それでも、内濠の鍛冶橋門と外濠の市ヶ谷門は同じように直進です。
高麗門は明治時代に撤去されたようです。現在は渡櫓門が残っています。石橋の手前から、これを厳重な皇居の警備とともに見ることができます。
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石橋(正門石橋)と皇居正門 -
皇居正門を正面から見る
皇居正門前は明治時代から写真撮影の人気スポットだった?
皇居正門前は、いつも国内外の観光客でにぎわっています。この場所を背景に記念写真を撮る人の姿が多く見られます。ここで撮られた写真は、世界中でどれだけの枚数になるのでしょうか。
インターネットで旧西ノ丸大手門の写真がないか探してみました。すると、十数枚ほど見つかりました。中には高麗門が残っているものもあります。私が旧江戸城の写真をネットで探したときは、あるひとつの場所では、そんなに多くの写真は見つかりませんでした。しかし、この場所の写真の多さは例外でした。昔からこの場所の景色は、人の心を魅了するものだったのかもしれません。
新型コロナウィルス(COVID-19)の流行により、ウソのように、観光客をほとんど見かけない状況が数年続きました。この文章を書いている2026年2月の時点では、ウィルスの流行は終息しています。そのため観光客は戻ってきています。特に外国人観光客の方々の多さが目立ちます。
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観光客でにぎわう皇居正門前(2017年3月) -
馬場先門跡の少し先から皇居正門前を望む(2022年7月) -
ほとんど人がいない皇居正門前(2022年7月)
