中之門と百人番所 中之門跡は、皇居東御苑内に残っていて一般公開されています。江戸城の門の多くは高麗門と渡櫓門を組み合わせた枡形門ですが、中之門は渡櫓門のみだったことが最大の特徴です。 現在は石垣だけが残っていますが、この上に渡櫓が存在していました。門跡を通るときに足元をよく見ると、礎石が残っているのがわかります。 千代田区、皇居東御苑内
新門と中雀門(御書院門) 中之門をとおって左に折れる、ゆるい坂をのぼり、つきあたった茂みはかつての新門(新御門)の跡です。そこから右に折れると、巨石を隙間なく積んだ立派な石垣が見えます。これが中雀門(御書院門)の枡形です。新門跡のすぐ右側には高麗門がありました。この門に向かって左側の石垣の上には、かつては二基の二重櫓がありました。 千代田区、皇居東御苑内
本丸跡 江戸城の本丸跡には、当時の御殿などの建物は何も残っていません。 現在は皇居東御苑の一部となり、広い芝生の広場があって、たくさんの花も植えられた、人々が憩う場所になっています。 千代田区、皇居東御苑内
天守台 天守台の石垣は大きな石が隙間なく積まれていて、とてもきれいですが、南側の隅石とその付近をよく見ると築石が丸くなりデコボコした石垣になっています。これは幕末の1863(文久3)年の火災の時に炎が石垣に当たり、焼けたことによってなったものです。江戸城の天守は再建されていませんが、復元模型が制作され、展示されています。 千代田区、皇居東御苑内
汐見坂門 二ノ丸と本丸の間に汐見坂と呼ばれる坂があって、それを登ったところには汐見坂門がありました。門は幕末の1863(文久3)年の火災で焼失しており、その時に石垣が焼けて、築石が丸くなり、表面がデコボコになったようです。この石垣の則面や、すぐ近くの石垣を見れば、もともとは石を隙間なく積んだ、表面が平な石垣だったことがわかります。 千代田区、皇居東御苑内
北桔橋門 この門は木橋を跳ね上げられるようになっていたため、滑車をつるしてあった金具が高麗門に残っています。現在は皇居東御苑に三つある出入り口のうちのひとつとして使われ、渡櫓門と枡形の石垣が残っていないので入るとすぐに天守台の裏側が見えます。 千代田区、皇居東御苑内
銅(あかがね)門 銅門跡は二ノ丸御殿の正門でした。下乗門の西側に隣接していて石垣の一部が残っているのですが、現在は斜めに道が通っているので、どこに門跡があるのかわかりにくくなっています。 千代田区、皇居東御苑内
大手門 旧大手門は第二次世界大戦中の空襲により渡櫓門が焼失。1967(昭和42)年3月、皇居東御苑の開園に合わせて復元され、現在は皇居東御苑に三ヵ所ある出入り口のひとつとなっています。 千代田区、皇居東御苑内
桔梗門(内桜田門) 江戸時代には外桜田門(現在の桜田門)に対して内桜田門と呼ばれていたようで、桔梗門という名前の由来は、太田氏時代の大手門であったから同氏の家紋にちなんで付けられたとか、その家紋が門の屋根瓦に残っていたからとか、諸説あります。 千代田区、皇居外苑
西ノ丸大手門 江戸城西ノ丸の大手門でしたが、現在では皇居の正門となり、二重橋や伏見櫓が見える場所として知られています。国内外から多くの人が訪れ、記念写真を撮る観光名所となっています。 千代田区、皇居外苑
桜田門(外桜田門) こんにち桔梗門と呼ばれている門が内桜田門とも呼ばれていたのに対して、この門は外桜田門とも呼ばれていました。1680(万延元年)3月、大老の井伊直弼が桜田門外で暗殺された、いわゆる桜田門外の変でも知られている門です。 千代田区、皇居外苑
馬場先門 江戸城の馬場先門跡は現在では広い道路になっていて、門の遺構は確認できませんが、濠とそれに沿って石垣が残っています。かつての馬場先門内は皇居外苑の一部として整備され、レストランや売店などがあります。春は桜がきれいな場所です。 千代田区、皇居外苑
竹橋門 竹橋門は現在の竹橋を渡った先、東京国立近代美術館の手前あたりの道路になっている場所にあったと思われます。旧竹橋は現在の橋のすぐ横(南側)にかけられていました。その橋台は小さな休憩場所となって残っています。 千代田区、竹橋駅近く
雉子橋門 竹橋門と清水門の間にあった門。現在は道路になっており、門跡のようなものは確認できませんが、近くに江戸期の石垣を再利用したと思われる、刻印も確認できる、謎の建築物があります。雉子橋門との関係は不明です。 千代田区、竹橋駅近く