江戸城の天守台は皇居東御苑の中に残されていて、一般公開されています。
天守は1607(慶長12)年に五層の大天守がはじめて上がり、その後1623(元和9)年に2代将軍秀忠が元和度天守を上げ、1637(寛永14)年には3代将軍家光が寛永度天守を上げて、計3度天守が上がりました。しかし惜しくも1657(明暦3)年の明暦の大火により、江戸城は西の丸を除いて天守・本丸御殿などがすべて焼失してしまい、その後天守が再建されることはありませんでした。
現在残されている天守台の石垣は、明暦の大火の翌年に焼けた石垣の修築工事をして築き直されたものだと言われています。このとき元の石垣に使われていた石は、中雀門枡形の石垣の材料として転用されたとも伝えられています。
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江戸城天守台遠景1 -
江戸城天守台遠景2 -
江戸城天守台、東側の面 -
江戸城天守台、北側の面 -
正面一番下の石垣 -
天守台の入口 -
石垣の隙間に咲く花 -
天守の入口跡 -
天守台の内側 -
天守台の上から本丸御殿跡を望む -
なぜか外国人観光客の注目を集めていた天守台脇の桃華楽堂
江戸城の天守は残念ながら残っておらず、再建もされていませんが、復元模型が制作されています。天守台のすぐ近く、本丸休憩所のすぐ隣に小さな建物を増築して模型を展示、2020年9月29日より一般公開されています。概要、場所、公開時間などの詳細については宮内庁のホームページより確認できます。
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展示されている江戸城天守の復元模型 -
展示のために増築された建物