二ノ丸と本丸の間に汐見坂と呼ばれる坂があります。結構急な坂ですので、足腰の悪い人が上り下りするのは、少し大変かもしれません。江戸時代は日比谷のあたりまで海だったと考えられていますが、この坂の上からは東京湾や佃島が見えたと伝えられています。そして坂の上には汐見坂門がありました。
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汐見坂と汐見坂門跡 -
汐見坂の脇にある高石垣
この門跡の渡櫓門の石垣を見ると、表面が金網で覆われています。何のためでしょうか?
この門は幕末の1863(文久3)年の火災で焼失しており、その時に石垣が焼けて、築石が丸くなり、表面がデコボコになったようです。現在では安全の為に、金網をかけて保護しているようです。この石垣の則面や、すぐ近くの石垣を見れば、もともとは石を隙間なく積んだ、表面が平な石垣だったことがわかります。
明治の初年に撮影されたとされる古い写真を見ると、確かに渡櫓門はなくなっています。なにやら簡単な門が作られていますが、火事のあとに仮設で建てたものでしょうか。
このように焼けた痛々しい石垣は、他にも中雀門、天守台 に見られます。
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汐見坂の上、かつての汐見坂門跡 -
渡櫓門跡 -
渡櫓門の石垣右側1 -
渡櫓門の石垣右側2 -
渡櫓門の石垣左側1 -
渡櫓門の石垣左側2 -
渡櫓門の石垣左側3 -
渡櫓門の石垣左側4 -
渡櫓門の石垣左側5